20年以上前、当時の町立八丈病院は昔の映画やテレビドラマに出てくるような古風な趣がありました。木製の墨書きの古びた看板が入口横に掛けてある木造の2階建てで、小学校のように簀の子が敷かれた入口土間で靴を脱ぎ、剥げた金文字の入った茶色のスリッパに履き替え、ぎしぎしと板張りの廊下を歩いて、消毒液の臭いのする焦げ茶色の色調の待合室へ向かいます。病室は2階ですが、驚くことにエレベーターがありません。病室へ患者さんを上げる際は、事務の男性職員を集めて、患者さんを乗せた担架をまるで御神輿のように担いで軋む階段を登っていく光景は今でも忘れられません。奥のセピア色の教員室のような事務室では、事務長が新聞を広げて被って寝ている姿がとても馴染む、ゆったりした時間が流れていました。
私は2回、合わせて5ヶ月ほど常勤医として派遣され、新米であるのに外科医として頼られ、自身の判断で冷や汗をかきながら診療し、初めて1人で麻酔をかけて、そのまま執刀医として手術をするなど、テレビドラマにみるような離島の外科医として活躍?しました。また、放射線技師でもあるダイビングの師匠と一緒に島の各ポイントに100本ほど潜りました。ウミガメ、クマノミのニモ、砂場に隠れたつもりのヒラメ、夜の岩礁内に光る多数のペアの目は伊勢エビ、ドロップオフの沖を悠々と泳ぐサメ、騒々しいカンパチの群れなど数々の生き物を見られ、マスクが飛ばされそうになる黒潮の強い流れがある溶岩で荒涼とした造形を持つ男らしい海を楽しみました。海から上がってくると、携帯電話がまだ不完全であった時には、防災無線がが島中に鳴り響き、“町立病院の外科の先生~、病院に戻ってください~”と呼び出されることもあり、ウルトラマンのようなウエットスーツを着たまま病院に急行したものです。
現在の町立八丈病院は新しい地域の公立病院と同じように広く明るい近代的な病院に建て替えられており、CT、ICU, NICU, 透析室や特殊な設備として高圧酸素治療室、いわゆる減圧タンクも有しています。常勤医は内科4名、外科1名、産婦人科1名、小児科1名で、定期的な臨時診療科としては整形外科、内視鏡科、精神科、眼科、耳鼻科など多彩な診療科があり、さらに特殊専門外来として、甲状腺外来、糖尿病外来、腎臓(透析)外来などがあります。画像遠隔診断システムは試験的な段階から導入され、また本土に救急搬送が必要な時はドクターヘリや消防庁のヘリコプターが、夜間荒天時は自衛隊のヘリコプターが空港に飛来します。
町立八丈病院の甲状腺外来は多くの専門・特殊診療のひとつです。ほとんどの臨時診療は大学や大きな病院からの派遣なので、担当医師はある期間で交代します。長期間定期的に来島している医師としては、ご高齢の整形外科の先生に次いで、私は2番目となります。22年間以上(+常勤医の期間)連続して、毎月1回第2土曜日に渡島して診療を続けています。今後、個人の医師として町立八丈病院の連続診療期間の記録を塗り替えるかもしれません?
現在の町立八丈病院